愛媛のじゃない方──冬の宇和島、正月闘牛と鯛めしをめぐる一人旅
愛媛への旅と聞くと、多くの人が松山の道後温泉を思い浮かべるかもしれない。
わたしもかつてはそうだった。けれど、県の南西にある南予(なんよ)と呼ばれる土地に車を走らせてみて、はじめて知った。愛媛にはもうひとつ、ほとんど観光地化されていない、深く静かな土地がある。
冬の正月、その南予の中心にある宇和島へ、一人で車を走らせた。目的は、年に 6 回しか開催されない宇和島闘牛の正月大会だった。
「熱闘 宇和島闘牛」——会場へ向かう道に立つのぼり旗宇和島闘牛という、知る人ぞ知る伝統
宇和島の闘牛は、スペインのそれとはまったく違う。人と牛が戦うのではなく、牛と牛が角を突き合わせる、神事のような競技だ。歴史は千年以上とも言われ、一説にはオランダ船が宇和島沖で遭難したとき、船員が救助してくれた漁師たちへの感謝に牛を 2 頭贈ったことが起源とも伝えられる。
人を傷つけない闘牛。血も流れない。勝敗は、相手の牛が背を向けて逃げた瞬間に決まる。
定期大会は年 6 回。1 月 2 日の正月大会、4 月第 1 日曜、7 月 24 日、8 月 14 日のお盆大会、10 月第 4 日曜、そして 12 月 23 日。わたしが訪れたのは、その最初の正月大会だった。
松山から車で、冬の南予へ
マイカーで松山から宇和島へ向かった。松山自動車道を南下すると、約 1 時間 20 分で着く。道中、内子や大洲の古い町並みが視界に流れる。昔は木蝋で栄えた街々だ。このルートを走るだけでも、愛媛が「松山だけじゃない」ことが肌でわかる。

宇和島が近づくと、景色が急に変わる。山がそのまま海に落ち込む、リアス式の地形。人家が谷筋にかろうじて貼りつくように建っている。四国のなかでも、とりわけ地形に呼吸の余地がない——そんな土地だ。
宇和島市営闘牛場、正月の空気を踏みしめて
闘牛場は、市の中心部から車で 10 分ほど、和霊町の山あいにある。擂鉢状の会場は山肌をそのまま利用していて、観客席からすり鉢の底に広がる土俵を見下ろす構造だった。

会場に着いたのは開場時刻の少し後。正月特有の、空気の張りつめた冷たさ。観客の多くは地元の人たちらしく、毛布やブランケットを膝にかけ、お弁当や缶ビールを手にしている。派手な観光地の雰囲気はまったくない。公民館の年始行事に紛れ込んだような親密さがあった。
アナウンスが始まり、行司が四股を踏んで土俵を清める。和太鼓が鳴る。関取のような名前をつけられた牛たちが、綱を取った勢子(せこ)に引かれて入場してくる。
「試合運び」の、静と動
あの日、いちばん忘れられないのは、試合運びそのものだった。
2 頭の牛が土俵の中央で向かい合い、静かに角を突き合わせる。鼻息の音。勢子が牛の腹を「パン、パン」と叩いて気合を入れる音。観客席から「ホウ」「ヨシ」と短い声がかかる。
体重 1 トン近い牛同士が角を突き合わせる——「試合運び」の決定的な瞬間そこから、一気に突進する瞬間まで、長い静寂がある。数十秒か、ときには 1 分以上。牛たちは頭を下げたまま、互いの力を測っているように見える。
そして、突然。
角と角がゴン、ゴン、ゴンと音を立てて押し合い、体重 1 トン近い牛同士が土俵を揺らす。土ぼこりが舞い、観客が息を呑む。
決着のつき方も独特だ。一方の牛が根負けして土俵に背を向けた瞬間、勝負ありになる。派手な決まり手はない。突き合いが長引けば「引き分け」もある。牛に血が流れることはほとんどない。
静かなのに、圧倒的に迫力がある。
言葉にするのが難しい感覚だった。スポーツの興奮とも違う、神事の厳粛さとも違う、もっと土着的で、冬の土のにおいがする何か。
闘牛のあと——鯛めし、道の駅、岬
大会は昼過ぎに終わった。外に出ると、冬の日射しが冷たく山に差していた。そのあとは、宇和島の町と、宇和海沿いをゆっくりめぐった。
鯛めし
宇和島の鯛めしは、松山の鯛めし(鯛と米を炊き込むタイプ)とは違う。生の鯛の刺身を、卵黄とだし醤油に漬けて、熱々のご飯にかけて食べる、いわゆる宇和島流・ひゅうが飯だ。

鯛の脂の甘さと卵のまろやかさが、冬の冷えた身体に沁みわたった。闘牛場で張りつめていた感覚が、ゆっくりほどけていくような昼食だった。
道の駅
市内から宇和海沿いに車を走らせると、道の駅があった。地元の柑橘とじゃこ天がずらりと並んでいて、観光地というより市場の延長のような活気があった。

じゃこ天は宇和島の郷土食。小魚をすり身にして揚げたもので、素朴で、噛むほどに海の味がする。車で食べるおやつ、という感じでいい。
岬
道の駅から、さらにリアスの海岸沿いを南へ走った。山がそのまま海に落ちていく岬の景色は、冬の宇和海の青と深い緑のコントラストが鋭く、日が傾くにつれて色を深めていった。

観光地ではない。誰もいない。防波堤の先で、波の音だけを聴いて、しばらく立っていた。
闘牛場の迫力と、岬の静寂は、対極のようでいて、同じ土地の呼吸の、表と裏だという気がした。
行き方・観戦のコツ
宇和島市営闘牛場
- 愛媛県宇和島市和霊町 1-600
- 定期大会:1/2 正月大会、4 月第 1 日曜、7/24、8/14 お盆大会、10 月第 4 日曜、12/23
- 入場料:一般 3,000 円前後(当日券売所で購入)
- 大会進行:10 時頃開始、13 時前後終了、10〜15 試合
アクセス
- マイカー:松山自動車道 宇和島朝日 IC から約 10 分
- 鉄道:JR 予讃線 宇和島駅から車で約 10 分
- 松山から車で約 1 時間 30 分、特急 宇和海で約 1 時間 20 分
観戦のコツ
- 正月 1/2 大会は防寒必須。会場は山あいで冷える。毛布・ブランケット持参推奨
- 場内での飲食 OK。地元の惣菜屋の出店あり
- 年間スケジュールは宇和島市観光物産協会の公式サイトで事前確認できる
おわりに
愛媛の旅は、道後温泉や松山城だけで終わらせるには惜しい。
南予という、人の呼吸に近い土地がある。そこには、観光地化されないまま静かに息づいている伝統と、山と海が一息で繋がる地形が残っている。
冬の正月、宇和島で見た角突きの音は、あれから何度も思い出している。静かで、力強く、そして何より、言葉にならなかった。
また次の大会の頃、行けたらいい。


