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山形・鶴岡の羽黒山国宝五重塔。杉木立の奥に静かに佇む平安期の塔

大人が集う、山形・鶴岡の精進料理宿――羽黒山麓で過ごす「引き算の一泊」

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足すことばかりを考えてきた気がする。旅行にもスケジュールにも、人間関係にも。でも、本当に欲しかったのは、引き算だったのかもしれない。羽黒山の麓に静かに佇む宿坊で一夜を過ごしてから、そんなことを思うようになった。

山形・鶴岡の羽黒山国宝五重塔。杉木立の奥に静かに佇む平安期の塔

羽黒山の宿坊が守る、修験の精神

鶴岡駅からバスに揺られて40分ほど。羽黒山の参道へ向かう道は、少しずつ街の音が遠のいていく。窓の外の景色が、桜の名残から新緑の兆しへと移り変わる頃、バスは静かな山の麓に着いた。

出羽三山のひとつ、羽黒山には今も宿坊がいくつか残っている。修験者たちが身を清め、山に入る前に泊まった場所。そこは観光施設ではなく、祈りと食を通して自分を整える、そういう場所だった。

わたしが訪れたのは、山伏の家系が今も守る小さな宿坊。玄関を入ると、ひんやりとした土間の空気と、お香のようなかすかな匂いが混ざり合っていた。案内されたのは、畳の部屋。窓の外には杉林が見えて、風が通るたびに葉がさざめく音が聞こえる。

ここには、テレビもない。Wi-Fiもない。あるのは、座卓と座布団と、床の間に飾られた一輪の山野草だけ。以前訪れた長野・戸隠の宿坊とも似た、静謐な空気が流れていた。

夜明けの峰入り体験――一人だから向き合える自分

翌朝、まだ薄暗い5時に起こされた。宿坊の主人が案内してくれる朝の峰入り体験に参加するためだった。宿泊者のうち、希望者だけが参加できる。この日は、わたしを含めて3人だけ。

白い衣を羽織り、草鞋を履いて、杉並木の参道を歩く。朝もやが立ちこめていて、木々の輪郭がぼんやりとしている。足音だけが、静けさの中に響く。

法螺貝の音が遠くから聞こえてきた。ああ、ちょっと言葉にするのが難しいのだけれど、あの音を聞いた瞬間、胸の奥が少しほどけた気がした。まるで、自分の中にずっと張りつめていた何かが、すっと抜けていくような。

山伏の方が唱える祝詞を聞きながら、手を合わせる。祈るというより、ただそこに立っているだけ。でも、それでいいのだと思えた。

羽黒山参道の杉並木。樹齢数百年の杉の木漏れ日が石段に降りそそぐ

一人旅だからこそ、こういう静かな時間に向き合える。誰かと一緒だったら、きっと気を遣ってしまう。「寒くない?」とか「疲れてない?」とか。でも今は、ただ自分の呼吸と、風の音だけに集中できる。福井・永平寺での座禅体験のときと同じように、一人だからこそ得られる深い静けさがあった。

精進料理の美学と、山菜の滋味

宿坊での食事は、精進料理。肉や魚を使わない、山の恵みだけでつくられた料理だ。

夕食の膳が運ばれてきたとき、最初は少し物足りなく感じるかもしれない。色も派手じゃないし、品数もそれほど多くない。でも、ひとつひとつを口に運ぶうちに、その滋味深さに気づく。

蕗の薹の天ぷら。ほろ苦さが、舌の上でふわりと広がる。筍の煮物は、出汁の味がしみじみと染みている。わらびのおひたしは、山の香りがそのまま閉じ込められている。

羽黒山宿坊斎館の精進料理。山菜と豆腐を中心にした滋味深い修験の膳

「引き算の美学」という言葉があるけれど、まさにこれだと思った。余計なものを削ぎ落としたときに、本当に大切なものが浮かび上がる。食べることが、こんなに静かで、こんなに深いものだったことを思い出した。

朝食も同じように、丁寧につくられた精進料理だった。炊きたての白米と、味噌汁と、漬物。それだけなのに、なんだか胸のあたりが温かくなった。

参道杉並木を歩く、余白の時間

チェックアウトの後、少し時間があったので、羽黒山の杉並木を一人でゆっくり歩いた。樹齢数百年という杉の木が、参道の両脇に立ち並んでいる。

木漏れ日が、ところどころ差し込んで、地面に光の模様をつくっている。足元には苔が生えていて、踏みしめるたびに柔らかい感触が伝わってくる。

羽黒山参道の杉並木。樹齢数百年の杉の木漏れ日が石段に降りそそぐ

歩きながら、考えていた。わたしはずっと、何かを埋めることばかりしてきた気がする。予定を埋めて、時間を埋めて、沈黙を埋めて。でも、余白がないと、息ができなくなる。

この杉並木を歩く時間は、何も生産しない。何も得ない。でも、それがいいのだと思えた。ただ歩く。ただ呼吸する。それだけで十分なのだと。滋賀・朽木の森を歩いたときにも感じた、余白を取り戻す感覚がここにもあった。

五重塔の前で立ち止まった。国宝に指定されているこの塔は、派手な装飾もなく、ただ凛と立っている。何百年もの間、この場所で、静かに時を刻んできた。

そんな佇まいを見ていたら、なんだか自分も少し、芯が通った気がした。

都会に帰る前に、整える一夜

鶴岡駅へ向かうバスの中で、窓の外を眺めていた。山が遠ざかっていく。また日常に戻る。仕事も、予定も、人間関係も、全部待っている。

でも、なんとなく、大丈夫な気がした。

羽黒山の宿坊で過ごした一夜は、何かを足す時間ではなかった。むしろ、削ぎ落とす時間だった。余計な音も、余計な情報も、余計な感情も、ぜんぶ手放して、ただ自分と向き合う時間。

小津安二郎の映画を観た後のような、静かな余韻が残っている。派手な展開もなく、ただ淡々と時間が流れていく。でも、その淡々とした時間の中に、何か大切なものが隠れている。

また疲れたら、ここに帰ってこようと思った。

引き算の旅を、また。

静けさの中に身を置く旅を。

そして、自分を整える一夜を。

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