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安曇川の清流 滋賀県

【福井のじゃない方】滋賀県・湖西の隠れ里、朽木でととのう初夏の湯治旅

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福井県の温泉地を検索する人の数は、実は滋賀県北部の山間を訪れる人の約8倍いる、という統計を目にしたことがある。そのデータを見たとき、ああやっぱり、と思った。滋賀といえば琵琶湖の東岸、彦根や近江八幡に人は向かう。けれど湖の西側、京都との府境に連なる山の奥には、誰も知らない小さな集落がいくつも静かに息をしている。朽木もそのひとつだった。

通り過ぎていた山の向こう側

湖西線の車窓から見える山々は、いつも少しだけ遠い。京都から福井へ向かうとき、あるいは琵琶湖の湖岸道路を北上するとき、視界の端にうっすらと青い稜線が重なっているのを、なんとなく眺めていた。

あの山の向こうには何があるんだろう。

そう思ったのは、去年の秋だったかもしれない。地図を開いてみると、国道367号線という細い道が山を越えて京都・若狭方面へ抜けている。その途中に「朽木」という地名があって、小さな温泉マークがひとつだけ付いていた。

朽木は、滋賀県高島市の山間に位置する。安曇川の上流域で、標高300メートル前後のゆるやかな谷あいに田畑と集落が点在している。観光地として整備されているわけではない。けれど、鯖街道の一部がこの地を通っていたこと、室町時代には朽木氏という武家がこの地を治めていたこと、そんな歴史の断片が今も風景のなかに残っている。

安曇川の清流 滋賀県

訪れたのは4月の半ば。桜はもう終わりかけで、川沿いの木々が薄く黄緑色の霞をまとっていた。空気が冷たい、というより涼しいという感じ。車を走らせながら、この静けさはなんだろう、と思った。人の気配がないわけじゃない。ただ、何かに急かされている空気がない。

小さな湯治宿で、時間を引き伸ばす

朽木温泉には、いわゆる大型のリゾートホテルはない。あるのは、地元の人が普段使いしている日帰り温泉施設と、数軒の小さな民宿や旅館だけだ。

今回泊まったのは、川沿いにひっそりと建つ木造二階建ての宿。玄関を開けると、畳と木の匂いがふわりと立ち上がってきた。部屋は八畳ほどの和室で、窓の外には安曇川が流れている。水音が、ずっと聞こえている。

温泉は源泉かけ流し。泉質は単純温泉で、無色透明、少しだけぬるっとした肌触りがある。派手な効能を謳うわけではないけれど、体の芯がゆっくりとあたたまって、長く浸かっていられる。

湯船に浸かりながら、ぼんやりと窓の外を眺めていた。川の向こうには山。空は少しだけ曇っている。何も考えなくていい時間、という言い方は少し陳腐かもしれないけれど、まさにそういう時間だった。

湯上がりに縁側で座っていると、宿の女将さんが麦茶を持ってきてくれた。「ゆっくりしていってくださいね」と、それだけ言って去っていく。この距離感が、ちょうどよかった。以前紹介した山中温泉でも感じたことだけれど、小さな宿には、大きなホテルにはない「ほどよい余白」がある。

川と街道の記憶を歩く

翌朝、朝食前に少し散歩に出た。宿の周辺は、集落と田んぼと川が入り組んでいる。道は細く、車がすれ違うのがやっとという幅だ。

この辺りはかつて、若狭と京都を結ぶ鯖街道の一部だった。若狭湾で獲れた鯖を塩で締めて、京へと運んだ道。朽木はその中継地点として栄えていたという。今も集落のなかには、古い商家の建物や石垣がそのまま残っている。

川沿いの道を歩いていると、小さな橋がいくつもあった。橋の上から水を覗き込むと、底まで透き通っていて、石の形がはっきり見える。この川の水は、そのまま琵琶湖へ注いでいる。

ふと、鯖を運んだ人たちもこの川を眺めたのかな、と思った。急ぎながら、でも少しだけ立ち止まって、水音を聞いたのかもしれない。そう考えると、なんだか自分もその記憶の一部に混ざっているような気がしてくる。

透き通る青紅葉 山里の静けさ

朽木の食—川魚と山菜、発酵の手触り

朽木では、川魚と山菜がよく食べられている。特にアマゴやイワナは、この辺りの清流で育つものが美味しいと聞いていた。

宿の夕食に出てきたのは、炭火で焼いたアマゴの塩焼き。身がふっくらしていて、皮まで香ばしい。一緒に並んだのは、こごみやタラの芽といった山菜の天ぷら、それから鯖寿司。

鯖寿司は、若狭から運ばれてきたものをこの地でも作るようになったそうだ。酢の加減が強すぎず、鯖の脂がじんわりと口のなかに広がる。米は地元のもので、少しだけ固めに炊いてある。これが、なんとも言えずちょうどいい。

食後に出されたお茶を飲みながら、ああこれが「土地の味」というものなのかもしれない、と思った。派手じゃない。でも、ここにしかない組み合わせと、ここにしかない手つきがある。鶴岡の精進料理もそうだったけれど、引き算の美学が宿る食卓には、静かな説得力がある。

翌日、集落の小さな商店で鯖寿司を買った。包み紙が少しレトロで、持ち帰るのがもったいないような気がした。結局、車のなかで食べてしまったけれど。

観光地にならなかった場所の豊かさ

朽木を離れるとき、少しだけ後ろ髪を引かれる気持ちになった。もう一泊してもよかったかもしれない、と。

秋の近江朽木谷 湖西の山里

ここは、観光地として整備されていない。それは不便さでもあるけれど、同時に守られているものでもあると思う。派手な看板も、お土産屋の列も、SNS映えする撮影スポットもない。だから、ここに来た人は、ただ温泉に入って、川を見て、ごはんを食べて、静かに過ごすしかない。

それでいい、と思えた。いや、それがいい、と言った方が正しいかもしれない。

福井の温泉地も、京都の奥座敷も、どちらも素晴らしい場所だと思う。でも、その「じゃない方」にあるものも、確かにある。朽木は、そんな場所だった。こちらの記事で紹介した答志島と同じように、有名な観光地の陰に隠れた場所にこそ、ぼんやりと過ごす豊かさが残っている。

帰り道、また国道367号を抜けながら、次はいつ来ようかと考えていた。たぶん、また来る。そんな気がしている。

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