この記事には広告リンクが含まれています
伊勢神宮の駐車場に車を停めないまま、私は鳥羽へ向かった。4月の半ば、新緑には少し早い、けれどもう春霞の向こうに海の気配が濃くなる季節。「伊勢に来たのに」と言う人もいるかもしれない。でも今回は、神様よりも海を、静謐よりも生活の音を、求めていた。答志島という名前を知ったのは、たしか数年前の旅雑誌の隅だった。伊勢志摩の離島。漁師町。民宿がいくつか。それだけの情報が、妙に引っかかっていた。
伊勢神宮を素通りする選択
「伊勢に行くなら神宮でしょう」というのは、まあ、正論だと思う。実際、私も何度か参拝している。早朝の内宮の空気は本当に澄んでいて、あの静けさに救われたこともある。
でも、今回はそうじゃなかった。
鳥羽駅から歩いて数分の船乗り場には、平日の昼間ということもあって観光客はほとんどいなかった。地元の人が数名、買い物袋を持って船を待っている。定期船は一日に何便もある。時刻表を見て、「ああ、島の人はこうやって暮らしているんだ」と、ちょっと当たり前のことに気づく。
切符を買う。片道800円。往復割引はない。島に渡るのに、「往復前提」じゃないところが、なんとなく好ましかった。帰りたくなったら帰ればいい。そういう距離感。
定期船で渡る20分の余白
船は小さくて、揺れる。デッキに出ると、風が強くて髪がぐちゃぐちゃになる。でも、その風が心地よかった。潮の匂いと、エンジンの低い音。空は高くて、雲が薄く流れている。
対岸に見える島影が、少しずつ近づいてくる。20分という時間は、ちょうどいい。長すぎず、短すぎず。スマホを見る気にもならなくて、ただ海を眺めている。隣に座った地元のおばあさんが、「今日は風があるねえ」と話しかけてくれた。「そうですね」と答えるだけで十分だった。
島が見えてくる。港が見える。船着き場に、数軒の民家と小さな商店。観光地の「整えられた風景」じゃない、生活の匂いがする港だった。
以前紹介した竹原もそうだったけれど、こういう「じゃない方」を選んだときに出会える景色には、独特の静けさがある。
民宿という距離感
予約していた民宿は、港から歩いて5分ほどの場所にあった。看板も小さくて、最初は通り過ぎてしまった。玄関を開けると、「いらっしゃい」と女将さんが出てきてくれる。靴を脱いで上がる。廊下は少し暗くて、磨らされた木の床がひんやりしていた。
部屋は6畳。窓からは海が見える。布団は押し入れに畳んであって、夕方になったら敷いてくれるとのこと。「お風呂は5時から。夕ごはんは6時半ね」と告げられて、それだけ。観光案内もなければ、Wi-Fiのパスワードもない。聞けば教えてくれるのだろうけれど、聞く気にもならなかった。
荷物を置いて、島を歩くことにした。
浜辺を歩く、ただそれだけの午後
答志島には、観光スポットらしいものはほとんどない。神社がひとつ、寝屋子制度という独特の風習を紹介する資料館が小さくあるくらい。あとは、漁港と集落と、細い路地と、海。
私は地図も見ずに、なんとなく海沿いを歩いた。防波堤に座って、ぼんやりする。波の音がして、カモメが鳴いている。漁船が数隻、停まっている。網を干している作業場があって、おじさんたちが黙々と手を動かしている。観光客が来ることに慣れているのか、慣れていないのか、誰も私を気にしていない。
それが、すごく楽だった。
浜辺には小さな貝殻がたくさん落ちていて、足元で砂がじゃりじゃりと鳴る。風は相変わらず強くて、でももう慣れた。時々、集落の方から子どもの声が聞こえる。学校があるんだ、と気づく。島で育つ子どもたち。私の知らない日常が、ここにはちゃんとある。
ベンチに座って、持ってきた文庫本を開いたけれど、一ページも読まなかった。読むより、ただここにいることの方が、今は大事な気がした。言葉にするのは難しいけれど、何かが、ゆっくりほどけていくような感覚。山中温泉で感じた「何もしない贅沢」に、少し似ているかもしれない。
夕食という、島のリアル
民宿に戻ると、もう夕飯の準備が始まっていた。食堂には他に二組、家族連れとカップルが一組ずつ。挨拶を交わして、それぞれのテーブルに着く。
運ばれてきた料理は、どれも魚だった。刺身、焼き魚、煮魚、魚のフライ。そして大きな伊勢海老が一尾、どんと置かれる。「今朝獲れたやつ」と女将さん。ああ、これが島の食べ方なんだ、と思った。派手な演出も、凝った盛り付けもない。ただ、新鮮で、たっぷりで、美味しい。
刺身の甘みが、じんわりと口の中に広がる。醤油はちょっとだけでいい。素材がちゃんとしているから、何もいらない。伊勢海老は、身がぷりぷりしていて、噛むと磯の香りがした。
食後、女将さんが「明日の朝は何時に出る?」と聞いてくれた。「9時の船で」と答えると、「じゃあ朝ごはんは7時半ね」と言って、さっさと片付けを始めた。その、必要なことだけを淡々と伝える距離感が、心地よかった。
夜の静けさと、朝の漁港
夜、部屋の窓を少し開けて寝た。波の音が聞こえる。街灯も少ないから、星がよく見える。部屋の明かりを消すと、月明かりがうっすらと畳を照らしていた。
朝は5時に目が覚めた。外はもう明るくて、漁船のエンジン音が遠くで響いている。顔を洗って、港まで散歩に出た。漁師さんたちが、水揚げの準備をしている。魚の匂いと、海の匂いと、朝の空気が混ざり合っている。
「おはよう」と声をかけられて、「おはようございます」と返す。それだけの会話。でも、その一瞬が、なんだか嬉しかった。旅人として扱われているのではなく、ただ朝の港にいる人間として、そこにいられる感じ。
帰りの船で思うこと
朝食を済ませて、9時の船に乗った。帰りの船は、来たときよりも少し空いていた。デッキに出て、遠ざかる島を眺める。
伊勢神宮には、結局行かなかった。でも、それでよかったと思う。神様に会いに行く旅も大切だけれど、今回私が必要だったのは、もっと地に足のついた、生活の匂いのする時間だった。答志島は、観光地として整えられていない分、素のままの漁師町がそこにあった。
派手な何かがあるわけじゃない。でも、ぼんやりすることを許してくれる空気がある。言葉にすると、どうしても足りない気がする。ただ、「また来たい」と思えた。それが全てなのかもしれない。
鳥羽の港が近づいてくる。船が着いたら、また日常に戻る。でも、その日常を生きるための余白を、答志島で少しだけ取り戻せた気がした。伊勢のじゃない方を選んで、よかった。そう思いながら、私は船を降りた。
旅の準備に
※ 本ページにはアフィリエイト広告が含まれます