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四月も終わりに近づいて、北陸の山々は桜から新緑へと色を変えはじめていた。金沢から特急で揺られて三十分ほど。加賀温泉駅で降りると、観光客の波はほとんど途切れている。みんな、金沢に行ってしまうのだ。
でも、そのことが、わたしにはむしろ心地よかった。
山中温泉が「じゃない方」である理由
石川県といえば金沢。その名は、もう誰もが知っている。兼六園、ひがし茶屋街、21世紀美術館。華やかな金箔の輝きと、雑誌で何度も特集される洗練されたカフェの数々。それはそれで、美しい旅だと思う。けれど、あの賑わいの中に、自分だけの余白を見つけるのは、少し難しい。
加賀市の山中温泉は、金沢とは対照的だった。ここには、派手な観光スポットもなければ、SNS映えを狙ったスイーツもない。あるのは、ただ静かに流れる大聖寺川と、その川沿いに湧く温泉と、古くからの湯治文化。そして、何もしなくてもいいという、ゆるやかな許しのようなもの。
駅からバスに乗って山中温泉の中心部へ向かう。窓の外には、田んぼと民家と、ところどころに残る桜の花びらが見えた。観光地の「入口感」がない。それが、じわじわと心をほどいてくれる。
以前竹原を訪ねたときも感じたことだけれど、有名な観光地の「じゃない方」には、独特の静けさがある。尾道に行かずに竹原へ、金沢に行かずに山中温泉へ。その選択が、旅に余白をつくってくれる。
鶴仙渓の散策――川のせせらぎと新緑の余白
山中温泉の代名詞とも言えるのが、鶴仙渓という小さな渓谷だ。全長1.3キロほどの遊歩道が、川沿いに整備されている。派手な絶景ではないけれど、その控えめな美しさが、今のわたしには必要だった。
宿にチェックインする前に、まず歩いてみることにした。こおろぎ橋という、少し変わった名前の木造の橋を起点に、川に沿って歩く。四月の午後、木々の間から差し込む光は、まだ春の柔らかさを残していて、でも空気には初夏の予感がほんの少し混じっていた。
川の音が、ずっとそばにある。せせらぎというより、もう少し低く、太い音。石を転がしながら流れていく水の音は、耳に心地いいというより、何かを静かに洗い流してくれるような感じがした。……ちょっと言葉にするのが難しいのだけれど、この音を聞きながら歩いていると、自分の中の余計な言葉が、少しずつ減っていくような気がしたのだ。
途中、あやとり橋という現代的なデザインの橋を渡る。赤い鉄骨が鮮やかで、緑の中に映える。橋の上で立ち止まって、川を見下ろした。新緑が、水面に揺れている。誰もいない。風だけが、吹いていた。
遊歩道の途中には、川床カフェがある。夏には川のすぐそばで冷たいものが飲めるらしいけれど、四月の今は、まだ準備中だった。でも、それでよかった。何かを消費しなくてもいい時間。ただそこに居るだけでいい時間が、ここにはあった。
一人でも心地よい、小さな湯宿の選び方
山中温泉には、大型のホテルもあるけれど、わたしが選んだのは、客室が十室に満たない小さな湯宿だった。一人旅を受け入れてくれる宿は限られているけれど、事前に調べれば、きちんと見つかる。
部屋に通されると、窓の向こうに川が見えた。畳の部屋に、シンプルな座卓とお茶セット。余計なものがない。その引き算の美学が、心地よかった。
山中温泉の湯は、無色透明で、肌あたりがとても柔らかい。加水・加温をしていない源泉かけ流しの宿が多く、湯に浸かると、体の芯からほどけていくような感覚がある。
夜、貸切風呂を予約して、一人で湯船に沈んだ。窓の外は暗くて、川の音だけが聞こえる。湯気の向こうに、ぼんやりと木々のシルエットが見えた。こういう時間が、必要だったのだと思う。誰とも話さず、何も考えず、ただ温かい湯に包まれている時間。
宿の夕食は、加賀野菜や日本海の魚を使った、控えめな会席だった。派手さはないけれど、ひとつひとつの素材が丁寧に扱われているのが分かる。器も、おそらく地元の作家のものだろう、静かな色合いのものばかりだった。
食後、部屋に戻って、お茶を淹れた。窓を少し開けると、夜の冷たい空気が流れ込んできた。川の音が、また聞こえてくる。ああ、これでいいのだと思えた。何もしない贅沢が、ここにある。
山中漆器と九谷焼――眺めるだけでいい、工芸の時間
翌朝、温泉街をゆっくり歩いた。山中温泉は、実は山中漆器の産地でもある。金沢の金箔や輪島塗ほど有名ではないけれど、その繊細な木地挽きの技術は、全国でも指折りだという。
温泉街の一角に、小さな漆器のギャラリーがあった。観光客向けというより、地元の人たちが普段使いする器を扱っているような、静かな店。店主らしき女性が、奥で何か作業をしていた。
棚に並んだ椀や皿を、ひとつひとつ手に取ってみる。木のぬくもりと、漆の艶。シンプルな形だからこそ、触れたときの手触りが際立つ。買うつもりはなかったけれど、眺めているだけで、心が落ち着いた。
隣町の九谷焼の窯元にも足を伸ばしてみた。加賀市は、九谷焼の産地でもある。色鮮やかな絵付けで知られる九谷焼だけれど、最近は若手作家の手がけるモダンなデザインのものも増えているらしい。
工房の一角で、ろくろを回している職人さんの姿が見えた。土が、手の中でゆっくりと形を変えていく。その静かな集中が、見ているこちらまで、何かに集中しているような気持ちにさせてくれた。
買わなくてもいい。体験しなくてもいい。ただ、そこにあるものを眺めて、手に取って、その存在を感じるだけでいい。そういう旅があってもいいと、思えた。
予定を埋めない旅のすすめ
山中温泉での二日間、わたしはほとんど何もしなかった。計画していたのは、鶴仙渓を歩くことと、温泉に入ることだけ。あとは、なりゆきに任せた。
結果として、工芸のギャラリーを覗いたり、温泉街のベンチで川を眺めたり、宿の部屋でぼんやりしたりした。それだけ。でも、それが、とても満ち足りた時間だった。
金沢のような華やかさはないけれど、山中温泉には、時間がゆっくり流れている。川の音と、湯の温もりと、木と漆の手触りと。そういうものに、そっと包まれるような旅。安芸の小京都・竹原と同じように、ここにも「何もしない豊かさ」があった。
帰りの特急に乗る前、もう一度こおろぎ橋に立ち寄った。新緑が、昨日よりも少し濃くなっている気がした。川は、変わらず流れていた。
また、ここに戻ってきたいと思った。何もない、けれど何かがある。そんな場所に、また会いに来たい。
予定を埋めなくていい。誰かと一緒じゃなくてもいい。ただ、自分だけの余白を見つけに行く。そういう旅が、ときどき必要なのだと思う。山中温泉は、そんな旅を静かに受け止めてくれる場所だった。
旅の準備に
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