伊豆のじゃない方──西伊豆・松崎町、なまこ壁と棚田に出会う初夏の余白
4月の終わり、まだ少しだけ春の気配を残した風が吹く午後。伊豆半島の西側、駿河湾に面した松崎町へ向かう道は、ひどく静かだった。東側の熱海や伊東とは違って、観光バスもひとり旅用のおしゃれカフェ特集もない。でもそれがいい。観光地らしく整いすぎていない、少し不器用なくらいの町の佇まいに、私は会いたかったのだと思う。

熱海でも修善寺でもない、西伊豆という選択
「伊豆に行く」と言うと、たいていの人は熱海か伊東、あるいは修善寺を思い浮かべる。温泉宿のパンフレットが並び、週末には人が溢れる、あの賑わいを。
でも西伊豆は、その賑わいとは少し距離を置いている。
松崎町は、伊豆半島の南西、駿河湾沿いに細長く伸びた小さな町だ。東京から車で3時間弱。沼津から国道136号を南下し、海沿いの道をひたすらなぞっていく。途中、何度か「本当にこの先に町があるのだろうか」と不安になるくらい、景色が変わらない。けれどそのぶん、到着したときの「たどり着いた」という実感が、胸にしみた。
レンタカーのナビを信じて走っていると、やがて目の前に、白と黒で幾何学的に彩られた壁が現れる。それがなまこ壁だった。
なまこ壁が残る港町・松崎のたたずまい
なまこ壁というのは、平らな瓦を貼り付け、その継ぎ目を白い漆喰で盛り上げた壁のこと。盛り上がった漆喰の形が、海の生き物のなまこに似ているからそう呼ばれる。防火・防湿に優れた伝統工法だけれど、今ではほとんど見られなくなった。
松崎町には、そのなまこ壁が、今もひっそりと残っている。
町の中心部を歩くと、白黒のリズムを刻む壁が、通りのあちこちに顔を出す。観光用に復元したというよりは、昔からそこにあるものがそのまま残っている、という雰囲気。格子戸の奥から生活の気配が漂い、洗濯物が揺れている。「観光地」ではなく「人が暮らしている町」として、なまこ壁が息づいているのが嬉しかった。
以前紹介した高岡の町でも同じような感覚を覚えたけれど、工芸や伝統が観光資源としてではなく、日常の一部として息づいている町には、独特の落ち着きがある。
伊豆文邸で時間を忘れる
伊豆文邸という古民家カフェで、ひと休みすることにした。築100年を超える呉服商の屋敷を改装した建物で、天井が高く、畳の部屋に差し込む光がやわらかい。注文した抹茶ラテは、ほんのり甘くて、少しだけほろ苦くて。窓の外を見れば、風に揺れる木々と、遠くに光る駿河湾。
何も考えなくていい時間が、ここにはあった。

2階の座敷に案内してもらった。靴を脱いで、畳の上に座る。窓が大きくて、光がたっぷり入ってくる。本を読んでいる人、ノートに何かを書いている人、ぼんやり窓の外を眺めている人。それぞれの時間が、静かに流れている。

石部の棚田と駿河湾、初夏の光
松崎の町を離れ、車で15分ほど南へ走ると、石部(いしぶ)の棚田に着く。
駿河湾を見下ろす斜面に、幾重にも連なる田んぼ。5月の連休明けには水が張られ、空と海を映す鏡のような風景が広がるという。私が訪れたのは4月の終わり、ちょうど田植えの準備が始まる頃だった。
風が、止まっていた。
畦道に立つと、海のにおいと土のにおいが混じり合って、鼻の奥をくすぐる。遠くで波の音がして、近くで鳥が鳴いている。誰もいない棚田で、ただ立っているだけで、胸の中に余白が戻ってくるような気がした。
映画『もののけ姫』で、アシタカが旅の途中で立ち止まり、森を見つめるシーンを思い出す。彼はきっと、こういう静けさを求めていたのだろう。何かを決めるためではなく、ただ自分の呼吸を取り戻すための時間を。

一人で歩くからこそ見えるもの
松崎町は、正直に言えば「見どころ満載」という場所ではない。有名な美術館もないし、SNS映えするおしゃれスポットもほとんどない。でもだからこそ、誰かに合わせる必要がなかった。
一人で歩くと、自分の足音がよく聞こえる。なまこ壁の前で立ち止まっても、誰も急かさない。棚田の畦道で、ただ風に吹かれていても、誰も不思議がらない。
尾道の島々や、竹原の静かな町並みと同じように、松崎もまた、一人旅だからこそ味わえる余白に満ちた場所だった。
旅の価値って、何を見たかではなく、どれだけ自分の呼吸に戻れたかなのかもしれない。そんなことを、ぼんやり考えた。
帰りの車の中で、ふと思った。また来たい、と。次は田植えが終わった6月か、あるいは稲穂が実る秋か。季節が変われば、この町もまた違う表情を見せてくれるだろう。
でもそれは、いつでもいい。松崎町は、きっとそのままの姿で、静かに佇んでいる。私がまた余白を探しに来るまで、ゆっくりと時間を刻んでいるはずだから。
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